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2012.07.09

斎藤学「家族はこわい」から

精神科医の書いた本が結構好きです。
最近読んだ、斎藤学さんの本3冊

「家族依存のパラドクス: オープン・カウンセリングの現場から」

「家族」はこわい―まだ間にあう父親のあり方講座

「家族依存症」

特に最初の2冊が事例が多くて、面白いです。
「家族」はこわい の中で、特に第2章「甘える夫、母になる妻」の「仮面夫婦と妻の不倫」が面白い。
読んでいて、そうそう、その通りよ!と「膝を打つ」(実際にはお風呂の中で読んでいるから打てないのだけれど)
場面が沢山ありました。読んで行くうちに、

「男の甘えを許す女の懐の深さというか、女側の問題だと思います。
つまり、世話をすることによって1人の男を支配するという一種の権力、世話焼き権力というものが
女の側にあるため、依存的な男につけこまれるのだろうといのが私の解釈です」(P78)

と言う部分があり、なるほどなるほど、夫の浮気については女側にも責任があるというわけかと思う訳です。

第3章「父は子に何ができるか」の中の「息子を殺した高校教師の父」の辺りも興味深いです。
「親が子供に自分の本音をきちんと貫いていくこと、親の仕事というのは自分の意見を言うこと」(P141)

という辺りには、色々考えさせられました。
(私には子供がいないけれど、友人たちから色々話を聞く事があるのです)

そして最後の方になってのこの一文に感じ入りました。

「成熟した人間が『寂しい』と感じたとき、何をするかと言えば、
まず親しい人のところに行こうとしたり、それが無理なら親密な人との充実した関係を胸に描きます。
幸せな自分(の人間関係)をすぐに思い出せることも、大人の条件の一つなのです。
もう死んでしまった大昔の人との対話もします。
それは読書しながら、対話するということになります。

要するに、精神的に成熟した人は孤独なときも『他者とともにある』のです。
あるいは、自分自身と対話することもできます。
今、眼前にしている風景について話すこともありますし、
切迫した危険な状況にいるなら、それを切り抜ける作戦会議に没頭します。

こうした自分との会話は、認知行動療法などでいう『セルフトーク』(1人しゃべり)
とは違います。セルフトークはモノローグ(独白)で、その内容は自己批判です。
この場合の結論は、自己評価の低下です。これに対して、『自己との対話』は
あくまでもディアローグ(対話)で、わたしはこれを1.5人の対話と呼んでいます。

こうした自己対話は空想であり、夢であり、遊びです。
その中から詩や小説や絵画や音楽や、その他たくさんの創作が生み出されます。
つまり『寂しさ』は、大人の遊びと空想と創作の宝庫と言えるのです。」(P217~218)

「精神的に成熟した大人」の条件を教えてもらったような気がしました。

精神科医の本では、斎藤環さん、岡田尊司さんの本も最近読みました。
また紹介したいです。

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