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October 2, 2010

2010.10.02

会社でうつ 休むと元気ハツラツな人―「仮面を脱げない」新しい「心の病」がある  海原純子

9月の半ばから楽しい観劇が続き、久しぶりの友人に会ったり、遠く離れている友人とも電話でゆっくり話したりできて良い時間を過ごしました。
遠くに住んでいても、このブログを読んでるよと言ってくれてたNちゃん、とっても嬉しかった。ありがとう~。

子育てをしている友人、仕事を頑張っている友人、観劇を楽しみながら仕事や家庭も大切にしている友人。
みんな頑張っているなぁ~と嬉しくなり、刺激を受けました。

ところで・・「頑張ること」=「いいこと」であることは確かだけれど、例えばちょっとメンタル不調になったりすると「頑張りすぎないで」と言ったりします。頑張ることって悪い事だったのかしら?・・・これってどういうことなのでしょう・・。


以前の記事にも書いた、勝間和代さんは「丈夫な心を作るために、客観的な視点を持って、目標に向ってしっかり頑張ることは大切」と書いています。


精神科医の海原純子さんの「会社でうつ 休むと元気ハツラツな人―「仮面を脱げない」新しい「心の病」がある」を読みました。
多くの人がつけている「仮面」について、「仮面をつけながら頑張ること」について、沢山の事例を紹介しながら、解説しています。


「自分の中に潜む言葉を表現できない、自分の心の悲鳴を周囲に伝えられない。気づかないうちに仮面をつけながら生活している。常に焦燥感や不満感を抱え、一時的に気晴らしをしてもすぐに生じる気分の落ち込み、これは人生のなかでつくられた役割という仮面を脱げない病、これを私は自己コミュニケーション障害と呼んでいる」(P25~26抜粋)という所に、なるほどと思いました。


ディスチミア(気分変調症)と呼ばれる新しい「心の病」は全世界的に特に若者達の間で増えていて、これまでよく知られていた「うつ」との違いから「新型うつ」「現代型うつ」などと言われてます。
自責の念がなく他責的など、従来型の「うつ」とは違いがいろいろあるようです。


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自分が本当にやりたいこと、自分が好きなことを抑えて幼いころから親のいいなりになってきたいい子、自らの心の声と向き合ってこなかった子ども、そういう若者が親の手から離れようとする瞬間、ディスチミアという病に襲われるように思えてならない。ディスチミア、それは親にも責任のある病である。


親が過度に自分と子どもを同一化する、子育てを卒業したくない思いや、子育てのみ自己アイデンティティーとする心理、子ども自身が自らに向き合う=自己コミュニケーションを行う機会を奪っている。「子どものため」という大義名分が実は「自分のため」ということもある。母親は自分とそっくりな部分を持つ娘を同一化してしまうから、自分と別の人格と捕らえることが難しかったりする。だから娘が充実したより制限のない人生を送って欲しいと思うと同時に、娘が自分の欲求を抑えて独立して生きることを制限する。娘は「いい娘」として期待通りに生きて世間的には評価されるが、娘自身は「自分がどう生きたいか」は忘れ去られたままである。


息子の場合、それは「いい息子」「母の自慢の息子」「母を悲しませない生き方」をアイデンティティーとする傾向が強い。母を嘆かせ苦しませる自分はダメな自分である、という先入観があり、自分の選択をおしすすめるか、母を嘆かせない選択をするかで葛藤することが多い。


「いい娘」「いい息子」という仮面をかぶってそのまま期待される人間像、求められる理想像と自分を一体化したまま中年以降も社会生活を送り、自分を抑圧していくことで身体や心が悲鳴をあげていても、それを無視して抑圧しながら仕事をすることや、周囲の期待に添うという頑張りを否定する人は少ないが、自己コミュニケーションという意味では、その抑圧は立派な「自己コミュニケーション障害」であり、一種の幼さに他ならない。
「こうあるべき」という理想像があることは悪い事ではないが、大切なのは同時に自分の感情を表現する方法を身につけることである。つまり、理想像と一体化し仮面をつける自分と、感情を表現し鎧を外す自分とのバランスが大切なのである。(P29~68から抜粋)
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自分と対話することをせずに、「いい娘」「いい息子」「いい嫁」「いい母」「立派な社会人」などの仮面を被ったまま、周囲の期待に沿うために頑張りすぎると、どこか不調が起きてくるかもしれない・・ということなのですね。

「私はどうしたいのか」「私はどう感じているのか」については、昔から考えるのが苦手なところがありました。
「これをしたら、親はどう思うか」が判断基準でした。
だから、自分とコミュニケーションを取るとか、自分と向き合うとかよく分からなかった。
自分の感情(特にネガティブなもの)を認めてそれを言葉で表現する、なんて意識したことなかった。
ネガティブな感情を見ていくと、そのままその怒りの渦に巻き込まれそうで怖かったのです。

仮面や鎧を付け続けて、感情を抑圧し続けると、突然爆発したり、身体症状に現れたり、何かに過度に依存したりするようになる・・。抑圧された感情は怒りになる。腰痛や肩こりも抑圧された怒りの象徴でもある(P74)そうです。

今でも肩こりも腰痛もかなりあるので、まだまだ怒りは私の中に残っているのかもしれません。

自分の感情を抑え、表現しないこと、抑圧することを「美しい」と感じる慣習、周囲との和を乱さないことをよしとし、仮面をつけることに美徳を感じる傾向が、わが国の文化的なゴーストであるという。(ゴーストとは、心理的抑圧を成り立たせる元となる、文化が持つ文化を支配する亡霊のこと)(P126)

海原さん自身も、医者になって40歳を過ぎた頃、身体が出しているサインを無視することが不可能になり、顔面神経痛や皮膚の病気で2年間苦しんだそうです。
若さや女性としての「美しくあらねばならぬ」と「医師である」「強くあらねばならぬ」と言ったゴーストも失い、
12キロ太って2年間はまったく何も出来ず、ただ青山墓地を散歩する毎日で、
3年目から少しづつ回復してきたのを感じて、西洋医学だけではないものを学んだり、家族や仕事の形態を変えたとか。


「不調という人生の壁が、それまでの自分を縛っていたゴーストから解放する鍵になることがある。不調にならなければ眠っている自分に気づかずに、社会のなかでより高い位置に、より多くの財産を求めて生き続けるだけだ。(中略)今までの自分をすっかり壊して、また一つ自分を作り上げていったような気がしている。一度壊したあと、再び生き始めた自分が真に成人した自分だ。社会規範の中に自分をあてはめるのはつらい。でも一度はそこを通り抜けなければならない。それは人生の第一関門だ。しかし、社会に適応すれば完結というわけではない。その後、はみ出してしまった自分に気づき、それをいかにこれからの人生に活かしていくのか。それが人生の第二の関門である。今の日本はこの二つの関門を通り抜けられずにあがいている人たちであふれている。だからこそ、社会に一度適応した大人たちが勇気を持って第二の関門を抜け、自分らしい人生に向かって歩き始めてほしい。その姿が、第一の関門で苦しんでいる若者たちに勇気を与えてくれるはずである」(P186~187)

仮面を付けて社会と適応していくことは、とても大切なことであり、それが出来ないと世の中で生きていけません。

しかし、それだけをし続けて、自分自身とコミュニケーションせず、自分の感情を抑圧し無視し続けていくと、どこかに破たんが起きて、心が辛くなったり、体を壊したりするのかも。

体や心がサインを出していたら、自分と向き合う時が来たのだよ、というサインなのかも。flair

理想の生活とか、目標に向かって、頑張ることは良いことではあるけれど。
でも、それが仮面をつけたまま、周囲の期待に沿おうとするだけの、頑張りだったとしたら、
立ち止まって自分と向き合う時が来たということなのかもしれません。shine

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