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September 21, 2006

2006.09.21

運命を変える聖なる言葉

実はここ数日、数ヶ月ぶりと言っていいほど、悶々としていました。
小さいけれど、いろいろなことが重なってなんとなく憂鬱な気分でいました。
全部が友人関係、人間関係のこと。
1番大きな原因は、やっぱり私がどうしても出してしまう癖「人と比べること」そして、他人から誉められたい「よかったね、凄いね」と言われたいという気持ち。

16日の記事のように「人に評価してもらえるというより、自分が納得できる仕事、自分がどう思うかが大切」なんて偉そうに言いながら、私自身がとてもとても人に認められたいのでした。認めないといけません、本当にやっぱり、私は私の弱点を克服できたどころか、湧き上がるネガティブな気持ちをどう扱って良いかわからなくて、悶々として鬱々として、そして不機嫌でした。

意識したくないのに気になってしまう、友達の言動。直視したくないけれど、心が離れてしまったな、と感じた別の友人との出来事。新しい目標を持って進むという充実感を持つ生活をしているうちに、大切な「他人の気持ちを気遣う」ということを忘れていたのです。だからますます自己嫌悪に陥る。

試験に合格しても、何か爽やかな気持ちになれないのは、こんなネガティブな感情に支配されていたからでした。

答えとなる言葉は無いかと、本を開いたり、自分の気持ちを客観的に見つめてみたり。そして解ったことは「私は他人に誉められたいんだ。だからこそ同じような誉められたい、他人に認められたい、という強い気持ちを持った友人のことが気になるんだ」ということ。

結局、私にも、気に障る彼女と同じようなことを考えて、行動したりしてる部分がありました。また私が出来ないような無邪気な振る舞いが出来るのが羨ましかったり、、。

悶々とした数日の中に、それでもちょっぴり嬉しいこともありました。少し前に知り合った、凄く元気を与えてくれる人。合格したら報告しようと思っててメールしたら「ほらね、shiikoさんはカウンセラーにぴったりだ、って言ったでしょう?僕の眼に狂いは無かったね」というメール。応援してます、と締めくくられたこのメールに本当に力をもらえた。こうやって手放して誉めてくれる人も私にはいる。こんなラッキーなことは無い。自分の嫌な部分と向き合って、誉めてもらいたがりで、他人に気遣いが出来ない自分のことが嫌になってどうしようも無くて落ち込んでいたけれど、これも「子供の頃から誉めて貰えなかった自分」だからこそ。気になる彼女も私のような境遇で育ったのだろう、きっと。誉めて貰いたくて、愛情をもらいたくて、でも思うように受け取れなかった幼少期を過ごしてきたのかも。彼女を見て、嫌な自分の姿に気づくことが出来て良かった。ネガティブな気持ちもきちんと感じて見つめることが出来て良かった。だからもう気にするのは良そう・・。昨日あたりからこう思えるようになりました。

そして今日、本屋さんで買おうかな、と手に取った本の開けたページにはこうありました。


人と人との関係に心をわずらわせて、
冒険を諦めたり、
自分の成長のために必要な
レッスンを学ぶ速度を
遅くしたりしてはなりません。(
スチュワート・エメリー)
     「運命を変える聖なる言葉」 スーザン・ヘイワード P76


そして別のページには


私たちの意識が広がるにつれ、
人や場所、ものを超えて
私たちは成長します。
古くからの友人が彼らの意見を述べて、
私たちの人生から去ってゆくのは
悲しいことかもしれません・・・
でも、去らせてあげなさい。
彼らは別の段階にいて、
別の方向を見ているのです。(
クリスティン・ザンブッカ)
     「運命を変える聖なる言葉」 スーザン・ヘイワード P69

私の疑問に答えてくれる言葉が、そこにありました。
自分の嫌な部分に、これから先も落ち込むこともあるかもしれないけれど
上手く付き合っていかなくちゃ。少しづつ成長していかなくちゃ。

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