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May 1, 2005

2005.05.01

母の日のプレゼントを送って

最近良かったこと・・・
★少し早い母の日のプレゼントを送ったこと

実家の両親が、今年は少し花粉症気味だと言うのでアロマオイルの芳香浴を勧めて、アロマライトを送りました。

こちらに引っ越ししてきてから、程よい距離が保てて「実家に行かなくちゃ」という強迫観念から逃れられ「電話しなくちゃ」といつもいつも思っていたのが「まあ電話してみようか」とたまには思えたりします。

物理的に離れたので「なんで来ないのか」とか「なんで電話してこないのか」とか責められることもなくなったし。以前は「電話が無い」「訪ねてこない」と言われるのが嫌で、言われる前に行動し、彼らの気持ちをなだめようとしていたけれど、そうやって頑張るペースが当たり前と思われ、また会えば、親の前で何故か必ず嫌な気分に陥り、嫌な自分になってしまっていました。疲れている自分をまずは強くするため、距離を置くことにしました。

父や母の些細な言葉から、嫌な気分になったことを、ここにもあれこれ書いていたけれど、自分自身が強くなって、ネガティブな言葉をそのまま受け止めないでいられるようになるまで、時間が沢山かかりました。子供だから親の嫌な部分も全て引き受けていかなければ、と思い込んでいたのです。今でもまた顔を合わせたら、嫌な自分にならない自信があるかと言ったら、まだ少し不安だけれど、でも以前よりは大分マシになってきました。

結婚するまでの26年間、そして結婚してからも、両親から多大な影響を受けてきました。人生において何かする時、決める時、彼らはどう評価するだろうかという考えから逃れられませんでした。彼らの気持ちを満足させることが子供である私の務め。親の反対を押し切っても「自分はこうしたい、こう思う」と行動することは、殆ど出来なかったし、してこなかった。そういう人生なんだと諦めていた部分もあります。

結婚前の写真を整理していると、色々思い出すけれど「4人で行った京都旅行、父はずっと貸切タクシーの運転手の態度の愚痴ばかり言ってたことしか覚えていないなあ・・」とか「友達と一緒にいるときの私の表情は明るくて楽しそうだけれど、家族旅行の写真はいつも何か不機嫌そうで、むっつりしているなあ」とか、考察?したり理由を考えたりしています。

もちろん、家族とは楽しい思い出も沢山あるけれど、でも結婚した時には大きな開放感を感じ、両親の元での息苦しさ、両親自身の不安や不満を受け止めてなんとかしてあげなくちゃいけない、と思い込んでいた自分を思い出します。長女なんだから仕方ないと思っていました。

距離を置いて、子供時代に受けた辛さや苦しさを思い出して追体験して、涙を流しても、自分の中でなんとかそれを処理して浄化して行くことが少しづつ出来ました。母の言葉に傷ついて、なんでそう言うことを言ったのだろう?と思っても、少し冷静になると「そんなことを言ってしまった母にも、何か理由があったんだろうな」と思えるようになったし。素敵な人と出会って、母からずっと否定されて嫉妬されてきた、私の中の「女っぽい部分」を肯定的に捉え、それを長所として生かしたい、と強く思えるようになったし。

両親の前では「子供っぽく振舞わないと嫌がられる」と判っていた。たまに○○さんは潔癖だよね、と言われても、潔癖なことは長所だと思っていたけれど、過剰な潔癖さが、夫との関係にも大きく影響しいて。私を女として見る夫に嫌悪感を抱いたりすることがあって、それが夫婦喧嘩のもとになったりしていたのでした。

「子供からおばさんになる」ことが、当然に思えていました。日本の社会ではそれが良いこと、のように思われているフシがあるかも。大人の男性も子供っぽい女性を好み、結婚して子供を産んで、女らしさを捨てざるを得なくなってしまった女性を「おばさん」と、十把一絡(じゅっぱひとからげ)にして呼んでみたり。色気があって女性として魅力があったり、仕事を持って一人前に生きている本当の女性が敬遠されたり。女性は、その未熟さに価値を置くのが日本の文化の特徴かとも思えるけれど、それは女性が女性として一人前に成長していく道が阻まれているような気がしてなりません。

両親から否定されてきた、女っぽく生きることを、自分の価値観できちんと認めて夫の前では女として生きること、これも大切かなあ・・なんて思え始めています。

子供時代、多くの傷ついた母からの言葉をなんとか理解し、許し、自分はもう大人になったのだから、あの時の気持ちから抜け出し、自分の価値観で生きて行こうと決意出来ています。

アロマライトが届いた頃に電話して、あれこれ使い方を説明してあげました。綺麗なバラの透かし模様が気に入ったような母の言葉を聞いて、ほっとできて、ああ、母のことも許せるようになってきたのかな・・と思いました。夏ごろに顔を合わせても明るく、優しい自分でいられるようにもうちょっと頑張っていきたいです。

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(略)私たちに向けられた誰かの、あるいは何かからの攻撃はすべて自己攻撃が形になったものです。ネガティブな想念同様、ストレスや自分に強いることなども自己攻撃の形です。他の人に対するどんな攻撃も、最初に自分への攻撃になります。自己攻撃が起きる度合いだけ、怖がっていますし、自分には価値がないと感じています。(中略)最も深いレベルでは、自己攻撃は両親や神に対する復讐や反逆の感覚と結びついています。私たちは、両親や神がもっと私たちの面倒をきちんと見るべきだったと思っているのですが、実際には自分たちがしていること、あるいはしていないことについて彼らを責めているのです。両親のケースでは、多くの場合、私たちが家族に与えるために持って生まれてきた、まさにその贈り物を両親が私たちに与えてくれないと言って、彼らを責めています。たとえば、家族を癒すために愛を持って生まれてきたのは私たちであり、ただその贈り物を与えればいいのに、両親が十分に愛してくれなかったと言って、彼らを責めたりするのです。私たちを十分に愛してくれなかったと両親を責め、その一方では、自分は愛されるに足る人間ではないと自己攻撃しています。家族に向けられたこうした責めはすべて自分を責める気持ちを隠しています。これは家族を救えなかったことへの私たちの自己非難であり、糾弾でもあります。(中略)私たちの両親は、実際には私たちが彼らから受け取りたいと思っていたものを全く持っていなかったのです。持っていたなら、両親としてそれを分け与えずにはいられなかったことでしょう。内面の痛みや恨みの下には、家族を解放する贈り物が今もまだあるのです。ただそれには、家族や自分に対する長年の攻撃を放棄し、自分にその贈り物があり、それを分かちあうことができるのだ、とまず気づかなくてはなりません。
チャックスペザーノの「癒し大全」「自己攻撃を手放す」P218~219より抜粋)

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