« 黒砂糖とハチミツの石鹸 | Main | 映画「誰にでも秘密がある」 »

2004.12.28

シャーリー・マクレーン「ゴーイング・ウイズィン」(チャクラと瞑想)

そうさ、いざとなったら1人でも生きて行けるはず!なんて思ってしまったら、すっかり元気が出てきました。人間開き直りも大切なのかな・・。とことん感傷的になって落ち込んで「怖いものなんて何も無い」と思えればしめたもの・・とどこかに書いてあったけれど、感傷的すぎるぐらい感傷的になって、ウジウジしていましたけど、なんだか年が押し迫って突然目が開いた感じです。

そんな心境の変化で私がしたこと。面倒だったり自分から考えたりするのがイヤでずっとそのままにしていた細々としたことに手を付けました。例えば実家から持って来たけれど付いていない金具を選んで買って作業して、、というのが面倒で夫に「やって欲しい」と頼んでいた「玄関廊下に大きな鏡を付ける」という作業。些細なことなのです。でも人にやってもらおうと思って「やってくれない」とイライラしていた。そんなことも金具を買ってきて取り掛かってみれば、あっと言う間に出来てしまったのでした。小さなことで、でもそのままにしてきたことを「何でも自分でやろう」という気持ちでトライしてみたりして。

偉そうな事を言っても、所詮子供だったわけです。そんなことを思っていたら昨日はまた父から電話があって、ああだこうだとうるさい事を言われました。「全然電話もしてこないでどういうつもりだ。心配しているなら行動で示せ」とかなんとか・・・。「長女なのに嫁に出してやった」とか「子供を持っていないから親の気持ちが判らないだろうけど」などとにかくうるさい。根本に流れるのは「頻繁に、気に掛けていること伝える為に電話したり家に訪ねてきて欲しい」という大きな依存の気持ち。自分から電話してきたらいいじゃない。話し相手にぐらいなるよ、と言っても「そっちが電話してこないのに出来るか」とかなんとか。年をとったからと言うより、昔からそういう事ばかり言われてきて、一生懸命両親の気持ちを満たそうと努力して疲れ果ててしまったこともあって。

6月以来実家を訪ねていないけど、お正月はふらりと1人で訪ねるつもりでした。(夫とは喧嘩もしているし)でも妹夫婦と同じ日にそろって来て欲しい、と要求してきて。数日前には「もしもしshiiko?声が聞きたくなったから電話しました。じゃあ・・プツン」と切れそうになる母の電話。慌てて遮って「9日に妹と一緒に行くと、伝言したけれど伝わった?」と言うと「聞いているよ。じゃあ。」と言って、掛けてきて1分も話さず切る、という子供じみた電話をしてくる母。

大きな病気を患っているわけでも無く、1時間以内で行ける場所に住む娘に「不安だ、心配だ。構って欲しい」そればかりの両親に呆れ果ててしまうけれど、昨日は父にも「○○してやった、○○してあげた。だからこうして欲しい、こうするべきだ」という考え方はやめて欲しい、電話しなくたって気にかけているし心配もしている、というのが信じられないのか?とにかく訪ねて行くと、ネガティブな話ばかり延々とされるのが疲れる。自分は体が弱いとか不安だとか言っても、同じ年頃の人の中には、大病して乗り越えて頑張っている人だっているし、心配しすぎるのを少しでも減らすように、訪ねた時ぐらい、最近嬉しかった良かった話なども聞きたいし、その場の雰囲気を悪くする言葉ばかりを発するのをやめてほしい、と言ってみました。

あれこれ言う父親に「どうしようも無いな」という余裕の気持ちで応対出来るようになったこと、これは随分進歩したなあ。。という感じです。後は母親かな。母親に関しては同じ女同士、女性性のことや何やら、子供時代に傷つくことを言われたことがまだ消化しきれないでいる。感情的にならずに話せる日が来るか、それともそんなことは自分の中で消化して、母親にも慈愛の心と余裕を持って話せる日が来るのか。まだ判らないけれど、少しづつだけれど親に対する気持ちや、夫に対する気持ちが変化し、成長している自分を感じられて嬉しいです。

必ず立ち寄るといつもこれ、と言った本に出会えるブックファーストがあって。そこで先日買い求めたシャーリー・マクレーンの「ゴーイング・ウイズィン」(チャクラと瞑想)。100円だったけれどものすごく今の自分の心にぴったり合った内容が書かれています。

***********************
人生に起こること全部に対して私達は責任を持っているのである。しかし、最初に果たさなければならない責任は、自分の個人的なことに対する責任、本当の意味で自分を大切にするということなのだ。これは決してやさしいことではない。そのためには、自分を振り返り、真正面から対決することが、まず要求されるからだ。それは、自分を愛することができれば、他の人も世界全体も愛することができるということを知らなかった自分を許してあげるということなのだ。それさえできれば、自分が作り出した恐怖を解決できる。(P40)

つまり私達は自分に対する愛を忘れてしまっているのだ。自分に満足しているかどうかは、他人との関係に1番強く現れる。自分を好きになるまでは、自分以外の人や世界に本当の意味で仲間入りすることは絶対にできないのだ。(P41)

私の場合は、私が自分の両親はこういう人だと思い込んでいた通りに彼らと接していたということに、今は気づいている。両親を絶対的な存在としてではなく、自分なりの生き方と必要なことをしている弱い人間で、私とは別の存在だと見始めた時、つまり、彼らのあるがままの姿を認めた時、2人はそれほど私を悩ませる存在ではなくなった。(中略)他人に自分の期待を押し付けないということこそ、真に彼を愛することなのだ。相手にやりたいようにさせてあげるやさしさを持てた時、私達は愛する者から自由になるのだ。そして妙に思うかもしれないが、かえってお互いの愛情は深まるのだ。だから両親や自分を大切にしたかったら、相手に対する盲目的な期待や要求に執着して、それが満たされないとイライラしたり憎んだり恨んだりするのをやめればよいのである。このプロセスで、自分が何なのか、自分が人生に何を望んでいるかをはっきり見すえる勇気を持つことによって、自分の責任を受け入れるのである。(P43~44)

少しでも対立があると、私達は自分が完全な人間であると感じることは出来ないようだ。では、誰が対立を作り出すのだろう?それは、またしても私達なのだ。自分の中の未解決の問題を自分のかわりに現実に見せてくれる人に対して、私達は怒りを感じるのだ。(P44)

もし本当の意味で自分とも世界ともうまくやってゆきたかったら、鍛錬を重ね、心を広く持ち、自分に忍耐強く、自分の体に親切に、無限の愛を心に持っていなければならないのである。(P49)

シャーリー・マクレーン「ゴーイング・ウイズィン」(チャクラと瞑想)より抜粋

******************

疲れきった自分の味方になって、両親と少し距離を置いたここ半年で、両親を一歩引いた目でながめることが出来るようになりました。両親のことは大切だし、感謝もしている。でも自分自身をまずは元気にさせて行きたい。それに夫との関係を良くしていくには、やはりまずは自分自身をしっかりすることなのですね。

|

« 黒砂糖とハチミツの石鹸 | Main | 映画「誰にでも秘密がある」 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference シャーリー・マクレーン「ゴーイング・ウイズィン」(チャクラと瞑想):

» シャーリー・マクレーン「オール・イン・ザ・プレイング」 [幸せの種を見つけよう!]
シャーリー・マクレーンの本は面白いです。 精神世界の本に馴染みの無かった頃は「な [Read More]

Tracked on 2006.08.27 07:01 AM

« 黒砂糖とハチミツの石鹸 | Main | 映画「誰にでも秘密がある」 »