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September 4, 2004

2004.09.04

「聖なる予言」(2)

「聖なる予言」の中から、8/26に「エネルギーについて」少し抜粋しました。今度は、人がどのようにエネルギーを奪い合っているのか、について「聖なるビジョン」も参考にして要約してみます。

人は育ってきた家庭環境によって、他人からエネルギーを奪う癖を持っている。攻撃的にむりやり人の注意を自分に向けさせるか、受身的に人の同情や好奇心に働きかけて注意を引くかする方法があり、それは大きくわけて脅迫者、尋問者、被害者、傍観者 のドラマに分けられます。

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「尋問者」は他人からエネルギーを得るために、批判的になる。誤りを見つけ出すという特定の目的をもって、尋問しては他人の世界に介入する。誤りを見つけ批判する。その戦略が成功すると、批判された人はドラマに引きこまれる。尋問者のまわりいると、自分のことが急に気になり、言動に注意を払い、間違った事をして尋問者に見付からないように気をつける。批判されないように行動しがちになり、自分のエネルギーが吸い取られ「自分」が失われるが、それは相手がどう思うかによって、自分自身を判断しているから。

「被害者(犠牲者)」は、同情をひくことによって譲歩と注目を勝ち取ろうとする。自分に起きたひどい出来事を話し、いかにも相手に責任があるように匂わせ、もし助けてくれなければひどい出来事はずっと続くと訴える、受身的なレベルで他人をコントロールする人。「被害者」と一緒にいると、何の理由もないのに罪悪感を感じ、自信を失い、この人の為に十分尽くしていないのだと思う程に追い込まれてしまう。

「傍観者」はよそよそしく、無関心で、あいまいな返事しかしない。何か理由があって自分のことを人に知られたくない場合と違い、相手がこの人は話をしたくないのだ、と結論を出して他に注意を移してしまうと、戻って来ては自分との会話に引き戻すために何か言い出す。自分の方にエネルギーを取り込むために、心の中でドラマを作り、自分の内にひきこもり、神秘的で謎めいてみせる。誰かがこのドラマにひっぱりこまれて、何が起こっているかを探り出してくれないかと待ち望むが、はっきりしないので、相手は本当の気持ちをわかろうと大変な苦労をし、傍観者にかかりきりになる。長い間相手を引きつけ、困らせておけばおくほど、傍観者はエネルギーを沢山受け取る。

「脅迫者」は相手を言葉や暴力で脅し、脅された人は、何か悪い事が起こるのではないかと恐れて、「脅迫者」に注意を払わざるを得なくなる。その結果「脅迫者」にエネルギーを相手に与えてしまう。


場合によって使い分ける人もいるが、誰もがこの4つの型のどれか支配的なドラマを1つ持っていて、それは子供時代に家族に対してどれが1番効果的だったかによって決まる。

自分のドラマがわかると、無意識的な行動から抜け出す事が出来て、ずっと自由になれる。つまり、その家族に生まれた霊的な理由がわかり、自分が本当は何者なのかが明らかになり始める。

私たちは大体において、他人から自分の行動や癖について、いろいろ文句を言われ続けているが、自分をだめにする癖や思い込みを、客観的に見て、手放して行かなければならない。問題の根本的な原因に焦点をあて、知的理解をおこしたものを見ることが必要である。そうすることで初めて、外的原因に左右されない安らぎが得られる。

(以上「聖なる予言」(P200~208)「聖なるビジョン」(P85~101)より抜粋要約)
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私の両親は「尋問者」であり「被害者」だったことに気づきました。私を批判することでエネルギーを奪っていたのです。そして、私達姉妹を育てるために、犠牲にしてきた様々な事柄を、折に触れて話題にしていました。(あなたたちがいたから、こう言うことを我慢してきた、などと言われた。)だから、私は、両親のために十分尽くしても尽くしきれないという強迫観念?から抜け出す事がなかなか出来ず、その上、両親に批判され、誤りを指摘されないようにと常に考えて行動する癖から、この年齢になっても抜けられませんでした。

でも、親がどう思うか?親に悪く思われない「いい子」でいよう、という行動指針は本当の私をストレスに晒すことになりました。

両親から奪われていたエネルギーを満たすために、私は夫からエネルギーを奪い続けていたのかもしれないと、今思いついています。

私が陥り易いコントロールドラマは、たぶん「尋問者」かと思います。「被害者」でもあるかもしれない。相手の悪いところを指摘して批判して、自分の世界観を受け入れて貰おうとする。相手を自分の考え方に妥協させてエネルギーを自分の方に送らせる。

「幼い頃の両親を責めずにいられない自分がいるとすれば、それは責めること自体がコントロールドラマだからである」「すべての人がその時その人にできる最高のことをしたのだということを、認める」(「聖なるヴィジョン」 P124)ことが出来れば、それで両親を許し、無駄なドラマに終止符をうつことが出来る。

昔の怒りから抜け出し、家族の中で自分が体験した事柄の、本当の意味を理解する。父親と母親の人生を振り返り、彼らの実現できなかった夢、実現できた夢、制限された人生などを分析し、この2人の真実を統合した生き方が出来れば、それがより真実に近い生き方に近づくという。自分自身をもっと見つめ、本当の生き方を探って行きたいと思います。

著者、ジェームズ・レッドフィールドはこう語っています。
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私がこの話(聖なる予言)を記したのは、新しい霊的な気づきとは、夢を現実化するということに他ならないということを示すためである。そしてこれは、一生懸命努力している人々の心の中に、常に宿っている思いなのである。宇宙は、私たちが心の奥底から感じてる望みを実現する舞台として、作られているように思える。小さな奇跡の連続によって動いているダイナミックな構造なのだ。宇宙は私達の意識に応ずるように作られているが、私たちが投入したものと同じレベルのものしか、私達に送り返して来ない。そのために、自分は何者であるか、何をするためにここにいるのかを発見し、私達を導く不思議な偶然の一致に従うことを学ぶためには、常に物事を肯定的に考え、全ての出来事に良い点を見る能力が、非常に大切なのである。」(「聖なるビジョン」P27.28)
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