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August 26, 2004

2004.08.26

「聖なる予言」(1)

数週間前に頂いたあるメールがきっかけで、ふと思いついて、前に読んだ「聖なる予言」を読み返しました。その流れで「第十の予言」も再読しました。以前も面白く読んだのですが、今回は驚くほどすーっと頭に全て入ってきました。ひっかかる部分が多くて、付箋を貼った部分を中心に2度読み込んでみました。ここ数年、色々なことを考えたり体験してきたけれど、今改めてこの本を読んでみて、まさにバイブルと言える本であることを実感しました。

冒険小説として、フィクションのお話として描かれています。主人公は「偶然の一致」に導かれ、冒険に巻き込まれ思いがけない体験をしながら、南米ペルーで発見された古文書の9つの知恵に出会って行く。「知恵」は体験によって学べるもので、彼はまさに不思議な体験をしながら「知恵」を身に付けていくのです。この9つの知恵が不思議に実感できました。

ネット上にある、この本の書評を読むと、心理学や哲学などで良く知られた内容だ、とされています。しかし不思議にも今の心に深く響きました。ベストセラーの書ですから、多くの人に読まれているのでしょう。人それぞれ置かれた環境や心境によって、「良い」と思うか「何も感じない」と思うか・・全く評価は別れるとは思います。

<第一の知恵>で、私達は周囲に起こる偶然の一致に気づき始め、<第二の知恵>で、自分達の周りに起こっていることに気づきそれが現実になり、<第三の知恵>では、目に見えないエネルギーを知覚することを知り、<第四の知恵>で、人類がずっとこのエネルギーを奪い合ってきたことを知り、、<第五の知恵>で、そのエネルギーは人から奪うものではなく他から受け取る事が出来ることに気づき、<第六の知恵>で、子供時代に身につけてしまったコントロールドラマをから抜け出すことで、本当の自分を発見することを学び、<第八の知恵>で、相手の最も良い点を引き出す事でエネルギーの新しい流れが出来るという、人との関わり方を学び、<第九の知恵>では、人間の進化のゆくえを学ぶのです。

偶然の一致や、起こることは全て必然である、ということは実感として最近特に感じていましたが、今回読んだ中では、第四の知恵である、エネルギーの奪い合い、第六の知恵の過去のコントロールドラマの清算、という部分が印象的でした。

自分たちがこのエネルギーの大いなる源から切り離されているために、か弱くて不安で何かかけている、と感じ続け、この不足感に直面して常に自分の個人的なエネルギーを増やそうとする、すなわち、心理的に他人からエネルギーを盗もうとする、この無意識の競争こそ、世界中の人類の争いの根底にあるもの。(P108要約)

他人を支配している時は気分が良く、この気分の良さは他人を犠牲にした上のもの。私たちが盗むのは、他人のエネルギーで、大部分の人は、他人のエネルギーを追いかけて、一生を過ごしている。(P142要約)

誰かが自分の状態を私たちに何とかしてもらいたくて、自分のエネルギーを私たちに与えることがある。それで私たちは力を得たように感じるが、大部分の人はエネルギーを与え続けられるほど強くないので、長く続かない。ほとんどの男女関係は、最後は権力闘争になってしまう。人は互いのエネルギーを結合させ、そのあとすぐに、誰がコントロールするか戦い始め、敗者が常に代価を払う。(P143要約)

自分が他人をコントロールするために使う特別なやり方に気づき、それをやめなければならない。なぜならこのくせに陥ると、私たちは必ず源から切り離されてしまうから。このくせを断ち切るのは最初はいつも無意識なので、容易なことではない。そのくせを捨てるための鍵は、そのくせを完全に認識すること。(P193要約)


エネルギーについて書かれている部分を、少し抜粋してみました。

エネルギー、というのは、通常私たちが「オーラ」と言っているものです。そして「知恵」と翻訳されているものは、原文では「Insight」だそうで、「洞察」「気づき」という意味だそうです。「偶然の一致」は「Concidence」で本来の意味は「同時性」「符号すること」というもので、正しくは「偶然とは言えない偶然の一致」だそうです。ユングの「synchronicity」いわゆる「共時性」のことだそうです。

過去のコントロールドラマを清算する、ということについても抜粋したいのですが、それは次回にします。

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