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June 13, 2004

2004.06.13

永平寺104歳の禅師の教え

今日のいいこと!
★昨晩NHKスペシャルで放送されていた「永平寺104歳の禅師」を見たこと。

夫がビデオ録画していたものを見ていたので、何気なく横から眺めていたのですが、次第にその内容に惹かれてしまいました。

78代住職 宮崎奕保禅師は現在104歳で、毎日朝早くから座禅を組み、写経をし、教えを説くため飛行機に乗って全国を訪れています。番組では作家の立松和平がその教えを聞く形式でした。特に二つ、心に響いたことがありました。

69歳で3年間、肺を患って入院していた時、辛くてもう死んでもいいかなと思った。その時気づいたことがある。正岡子規の 『病状六尺』にあるように、「人間はいつ死んでもいい」と思って生きるのが悟りだと思っていたが、実は「今、平気で生きていることが悟り」「平気で生きることは難しい」とういう事だった。

この話から私は「この世で今を生きることが一番難しく、これを平気で生きることが出来ればそれが悟りとなる、だから『今』を懸命に生きなければいけないのだ」と解釈しました。

<以下 正岡子規 『病状六尺』より>
悟りといふ事は如何なる場合にも
平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも
平気で生きて居る事であつた

そして二つ目は、自分=永平寺である、ということ。私は宮崎奕保だけれど永平寺なのだ。永平寺と私は1つである。あらゆる存在の平安を願わなくてはいけないのは、環境も他人も皆自分だから。自分を大事にするのはいいけれど、人はどうでもいいのではない。人を、環境を大事に思うことはイコール自分を大事にすることになる。

他人と自分は皆繋がっている。環境も自分と同一である。優しさを、愛を、他に向けることはすなわち、自分に向けることと同じなのである、と私は受け止めました。

仏教の教えについては殆ど知らないし、仏教の本も読んだことはありません。だからもしかしたら解釈が違っているかもしれない。でもこの104歳の老僧の言葉には、不変の真理が表されているように思います

最後「自然について」禅師が話している時、残念ながら録画が切れてしまいました。1番の佳境の場面だったので残念でしたが、今の私にはここまでが理解するのに精一杯だろう・・ということだったのでしょうか。(笑)またいつか再放送される時に最後の話を聞けたらいいなと思います。

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